棱皮龟

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TUhjnbcbe - 2021/1/2 2:26:00

緑毛亀(日本語版は文末にある)

普陀山带回来的,三十几岁的*喉水龟。

 时下,豢养各类小动物以作宠物的情形比比皆是。小猫,小狗地位升级,早就不屑于家庭保安和捕鼠专员的老行当,上得厅堂,下得厨房,与人平等共生,俨然家庭中的一员。若是高档品种,更可用娇生惯养来形容。冷血的爬行类,蛇蝎,蜥蜴之属也有人喜欢,玩的是新奇,与众不同。

??花鸟市场出来,孩子们笑容灿烂,提着透明塑料盒,里面养着几个寄居蟹,也有拎着鸟笼式样的提笼,里面关着一两只踩着滚轮,努力健身的小仓鼠。若是到了没啥长性的主人家,不过是应时应景的点缀。新鲜劲一过,才发觉伺候小动物的麻烦如丝如缕缠绵不断。于是,能送人的送人,能放生的放生,基本晚景凄凉。可不,最近电视新闻里报导:某处绿化草地里发现原产澳洲的鬣蜥,据说价格还不便宜。护城河里捉到小鳄鱼,不排除偷偷丢弃的的可能。此类放生看似仁慈,却助力了这些外来客,香火赶出和尚,倾轧着本地生物圈里原生动物的地盘。

 苏州传统“白相物事”之中,绿毛龟可以算一种,虽然并不普及。简单说来就是一种水龟,背甲,腹甲乃至指抓尖,嘴角上都长着绿毛。试想,湖石假山环绕的池塘里,锦鲤荷花相映红,动、静相谐之时,池水中几只长发飘飘的精灵,掩映其中,慢慢悠悠忽凫水而来,这情景一定令九曲石桥上的主人拍打着红栏杆感到十分愉悦。我没有在这样的庭院里生活过,只是一种意趣的想象,做做旧时文人雅致的宅第之梦。绿毛龟却是养着,而且有十只。

常熟兴福寺,白莲池。绿毛龟的发现地。图片摘自网络。

 据说绿毛龟最初是常熟破山寺也就是兴福寺僧人在白莲池中发现的。这兴福寺是唐代的古刹。里有一首:常建的,写的即是此地,全诗就不列举了,其中的名句是“曲径通幽处,禅房花木深”。这两句诗带着股仙气,日久生变,修炼成了电影里特务接头的暗号,我们小学时期流行一时。电声音乐营造恐怖感当属首次,颤音配合着浓重的画面色调,扣人心弦。同时期,另外一个电声音乐背景让人心旷神怡的是罗马尼亚的电影开头曲,海洋里的大浪托举着巨轮,配上慢镜头,舒缓,惬意。据说为了听这段音乐,还有人反复去看,好在当年的电影票确实不贵。说回,有一阵子,班级里同学之间也模仿起这种特殊的沟通方

.「黑三角」剧照,摘自网络。

式:回廊一头突然转出一个同学,立定,和你怼一下眼神,抖抖索索地哼着背景音乐,“咚咚咚,当当当”,走近,一步,两步,慢慢地,再次确认眼神,手上摇起无形的扇子,然后:曲径通幽处,你赶紧对下一句:禅房花木深,互相吟哦之后,眼神一亮:自己人!所以说教育要从娃娃抓起,娃娃的模仿能力是超强的。

「沸腾的生活」剧照,摘自网络。

 至于绿毛龟是什么时候被这里的僧人发现的,有说一百多年,两百多年,并不确定。好古者也有说千年的,这恐怕是从这首诗作成的年代算起了,有点野豁豁了(意:差太多)。不过,常建可能还有一首诗是写绿毛龟的,开头四句是:吾爱破山道,日影入林深。清水浮绿毛,白莲动尘氛……只是没有被发现罢了,一本正经胡诌起来,好像真有那么回事,毕竟,李梅亭家在上海的洋房被日本人炸掉之前,谁都没亲眼见过。往事留待考据家去追究吧!绿毛龟被大家所认知,大约就几十年时间,并不见得得宠。当然考虑到不讲究闲情逸致,小资情调的特殊时期的影响,个人推测:一,二百年说还有些根据。

 养绿毛龟算不得难事:有个露天天井,有好水,最好有口井,加上有点闲暇就可以了……难了,有天井现在有点难,有口井难上加难!我听到热心看客的嘀咕了。其实没有天井也可以,天井的意思是有日光,却又不会整天直晒,又能接触到地气。高楼上饲养时,要注意日照的时间,麻烦的就是隔几天须带到地面,让它沾沾地气,更加健康一些。

 太湖边长着芦苇的湿地里,以前常常可以见到普通水龟,棕褐底色上镶着些黑斑。现在,花鸟市场应该有,买巴掌大的即可,不贵。饲养的容器可以用大一些的圆形金鱼缸。没必要买专门的龟舍。绿毛必须在水里培养,金鱼缸很合适。水是关键,井水最好,还因为井水里有一个秘密成份,下来再讲。干净的河水,天落水也行。当然,净水器的水也可以,自来水多少有些消*成份,放置几天,散掉气味也将就能用,只是后两种水要培养绿毛恐怕很难,若是用作已经培育完成的绿毛龟的饲养用水是可以的。鱼缸清洗,放入水龟,注入清水,没过龟背一些,保持头部可升出水面的高度。因为水龟还是靠肺呼吸,只不过待在水里时间多些罢了。喂食以小鱼虾,生肉丝等适量,不要一次大量投食。少量,吃净是原则。把握它的食量,养熟了,可以将食物捏在手上喂给它,培养它对你的信任。两三天喂一次就好了。可以用现成的龟粮投喂,同样不用多。因为喂食,排泄,蚊子产卵等污染,水需要经常换,保持洁净。换水的时候可以用软刷子轻刷背,腹的龟甲,不要太用力,去掉附着的脏污即可。鱼缸放在天井里为主,室内只是临时观赏时摆设一下,因为绿毛需要光合作用。夏天,用帘子挡挡太阳,强光对绿毛有损。接下来就是静等。

 苏州地区,长年湿润的空气保证了各类微生物的生长。就像制酱的好坏在于霉头的质量一样,绿毛龟的绿毛也是一种微生物在龟背上附着,生长的结果。姑且称其为龟背藻吧,井水,河水里原先就带有肉眼看不见的龟背藻,这就是刚才提到的秘密成份。自来水,净水中没有藻类,就不可能培养出绿毛来。不过,如果掺入一些井水,河水或者放一些河中的水草,找几个螺丝,田螺给它作伴也可以间接传播龟背藻。在适当气候条件下,这些小微生物就将龟背当做温床,扎根繁衍。这个过程有时很容易,时间也短,有时却很漫长,主要看你的水质以及龟背藻的含量。过多喂食,吃剩的龟粮污染水质,频繁换水都是造成影响的要素。

正在培养绿毛中的太湖水龟。

 当龟背上出现“草色遥看近却无”的感觉时,说明龟背藻已然扎根了。继续等待,慢慢的,一点点绿丝从龟的脚趾,背上的棱瓣接缝处冒出来了,然后,绿丝一点点变长,终于一缕一缕的长起来了。时间可能过去了几个月也可能是一年半载。闲暇和耐心是需要的,饲养并不讨手脚,但要当个事,不要等到水都干了,或者变臭了才想起来那个可怜的乌龟。

 绿毛渐成之后,要进行一定的梳理,用塑料细齿梳子就可以了。健康的绿毛是淡淡的墨绿色,阳光曝晒,水里富营养化后毛色就会变深,发黑,毛锋容易发腻。绿毛要梳通理顺,去掉那些抓不住龟背的部分,好的绿毛是不怕你梳理的。绿毛越长(chang)越要梳理,防止毛发打结,这个和小姑娘的长发是一个道理。及时梳理还能防止出现红线虫等影响毛发生长的病害。秋天给它增加一些肉食次数,好让它储存体力,平安过冬。

 寒风吹尽树叶,绿毛龟行动迟缓起来,瓦上起初霜的时候,就要安排它们冬眠。冬眠前,给它们再次清洗一下,梳理好绿毛,只要将鱼缸里的水留到淹没爪背,背甲下沿有点碰到水就可以了。收起来,放到室内,或床底下,或柜子底下,没有风,遮光的地方。鱼缸底下包裹一些保温的物件。第二年,惊蛰过后,最好等过了清明,气温稳定之后,拿出来,清洗复位就是了。整个冬天不用动它。

 今天,在老宅里给十个绿毛龟换水。其实,总共养了十一只,其中混入了一个朋友从平江路河里捞起来,不知来路的巴西彩龟,挺大个头,黑背红颊,姑且也一视同仁养着吧!好几次看它长出了点点,丝丝的绿毛,想着能不能培养成绿毛巴西龟。没两天,给它换水时,一捏背壳,好几片老皮壳掉了下来,原来,它是要蜕壳才长大的,绿毛随着蜕下的表皮一起脱落了。而且,张牙舞爪,“呵斥呵斥”发出响声想威胁我。巴西彩龟,冒充金钱龟,最初充斥在花鸟市场里,小孩子当宠物玩,现在,各个寺庙的放生池里也多如牛毛,正一点点挤兑掉本土品种的生存空间。所以,不拿去放生,我对他圈养,禁足,但不虐待。

平江河里捞起来的巴西彩龟。身上也开始长起绿毛来了。

 换好水的绿毛龟,一个个昂着头开始问我讨食了,抓一把龟粮,每个缸撒一些,记着:吃完为度。一丛丛绿毛在清水里舒展着,随着龟龟们的动作如衣袂在飘扬。

腊梅花下的大缸里养着唯一一只*喉水龟,一身象牙*底板,绿毛柔绿不浓。那是我初中毕业那年暑假和母亲一起去普陀山旅游时,在佛顶山山道旁的一个农人的网袋里花四块钱买下,千里迢迢跨海带回来的。它最安静,有时会很久保持一个姿势,若有所思的样子。母亲看着它:“唉,要是个小孩子的话也该给你讨新娘子了,都三十多岁了”,是啊!今年,女儿已经上大二,它比女儿还要大十几岁。往事如烟呐!

时常若有所思的绿毛龟。

多些平常語,不作應制文。

日本語版はこちらから????????


  
  
  緑毛亀

??時下、各種の小動物を飼育してペットにしているのは至るところで見受けられる。猫や犬の地位が上がり、とっくに家の守衛番人及びネズミ捕り担当という従来の業務に目もくれない。ロビーに行ったり、台所に来たりして、人間と平等に共生し、まるで家庭の一員のようになってきた。もし 高級な品目な物だったら、甘やかした子だと形容しても違和感がない。冷血の爬虫類:蛇、蠍、蜥蜴などもすきな人がいる。好んでいるのは新奇さであり、一味違う感覚かもしれない。


  花鳥市場を出た満面の笑みの子供たちは透明なプラスチック製の箱を提げている、中にはいくつかのやどかりが蠢いている、または鳥籠のような手提げ籠をぶら下げ、中にはひっきりなしにローラーを踏んで怠らずにジムをしているハムスターが一匹か二匹閉じ込められている。もし 気が多い持ち主の手に入れたら、一時の飾りになってしまう。好奇心が褪せた後やっと小動物を飼う面倒さに付き纏われたことに気づいて、そこで誰かにやるか放生するかにしてしまう。小動物らが可憐な老い先を余儀なく迎えられてしまう。そうじゃないか、最近 テレビ新聞でとある緑地の中にオーストラリア原産のイグアナが生息しているのを発見された、値段が安くないものらしい。外堀で小さい鰐を捕まえたというニュースもあった、こっそりと捨てられたのを排除できないそうだ。このような放生行為はいかにも仁慈のように見えるが、これらの外来客に助力を与え、お手伝い役が方丈様を追い出したように地元の生態圏の既存の動物たちの生息の場を掠め取っている。

??蘇州伝統的な遊びものの中に、緑毛亀は一つだとあげられるが、そんなにありふれたものではない。簡単に説明すると:一種の水亀で、背と腹の甲羅に乃至爪先に口先に緑の毛が生えているものである。試してこんな画面を考えたら:太湖石の築山に囲まれた池に、錦鯉が蓮の花に紅に映しあい、動、静が和やかにしているうちに、池水の中に長い髪の毛をしている精霊たちがゆっくりと水をかきながらやってくる、この情景はきっと八橋にいる主人に喜びを感じさせ、不意に手を朱色の木造手摺を軽く叩くだろう。私はこんな庭で生活したことがなかったが、ある趣の想像に過ぎないことで、昔の文人の雅やかな邸宅の夢を見ている。緑毛亀と言えば、飼っている、しかも 十にも及んでいる。

??緑毛亀の一番最初の由来は常熟破山寺、即ち現在の興福寺の僧侶によって、境内にある白蓮池の中で発見されたそうだ。興福寺は唐の時代の古刹であり、「唐詩三百首」にこの一首がある:常建の「題破山寺後禅院」はここを描くものだ。詩句の全貌を一一挙げたくない、中の名句は:曲径通幽処、禅房花木深(曲がった道が幽処に通じ、禅室外に花木深し)とあった。この二句は仙気を帯びたもので、日にち経つにつれて変化が起きた、映画「黒三角」の特務たちの連絡用の暗唱暗号に化けてきた。我々小学校ころに一時的にはやったことがあった。電子音楽で恐怖感を作り出したのは初めてのようだ、震えた音が色合いの濃い画面に合わせて、人の心に迫る力を感じさせられた。同じ時期にもう一つの映画の電子音楽が人々に晴れ晴れとした体験を与えたのはローマニアの映画「沸騰した生活」の開始曲であった。大きな船が海の巨大な波にささえられて、スローモーションに合わせている、のんびりした、快い気がさせられた。この音楽を楽しめるために繰り返し見に行く人がいたらしい、幸い当時のチケット代は確かに高くないものだった。「黒三角」に戻る、一時的にクラスの同級生たちはこの映画に見習った交流術を真似ていた:廊下の底から突然一人が現れ、足を止め、あなたと目で見あう、声を震えさせながら背景音楽を唸りだし:“トットンドン~バッバンバン”近づけてくる、一歩、二歩、ゆっくりと眼差しを確認し、無形な扇を扇ぐ、それから:“曲径通幽処”を唱え、あなたはすぐ次の一句を繋ぐ“禅房花木深”この暗号が確認できてから、互いに目に光を放つ:仲間だ!だから教育は子供からだといわれている、子供たちの学ぶ能力は超すごいものからだ。

??緑毛亀はいつからここの僧侶によって発見されたかは百数十年説あり、二百年余り説もある。確定はできない。好古者は千年以上あると言っているが、おそらくこの詩の作成した時代から計算したから、途轍もないほど誇張しすぎたと思う。ところが、常建は別に緑毛亀を描く詩がある可能性があり、冒頭の四句は:吾愛破山道、日影入林深。清水浮緑毛、白蓮動塵雰…(僕は破山の道が好き、日陰は林の深いところに届く。清水に緑毛亀を浮かべ、白蓮は凡人の世界を揺らす)とあったが発見されずにすんでいる、このような本気にふざけて言うようにすれば、本当にこんなことがあるらしい、あくまでも 李梅亭が持っていた洋風邸宅が日本軍によって爆破されていないころの姿を見た人がいない。(銭鐘書著「結婚狂想曲」の中の主人公の一人。由緒がある家を出たものだと同僚たちに架空した話をし、大物気取りをするつもりだった。日本軍による空襲が多かったので、本来なかった建物を嘘で建てたりする面子愛好家を皮肉する筋だ)昔話は考証家の調べに任せてやろう。緑毛亀が周知されたのは数十年の時間に過ぎない、皆に好まれたこともない。当然、閑雲野鶴の生活への批判、旧風習を強調しない特殊時代が存在していたため、個人の推測としては百、二百年説は少し根拠があるかと感じている。

??緑毛亀の飼育はさほど難しいことではない:露天の小さい庭があり、良い水があり、井戸が一つあってほしい、その上、少し暇があれば結構になる……なかなかだね!熱心な観客さんからのつぶやきが伝わってきた:小さい庭は困難、井戸付きならさらに困難!実は庭がなくてもいい、目的は日差しがあっても、長期間直射日光が避けられるからだ、そして 地面の“気”と触れ合ることができるからだ。高層ビルで飼う場合は日照時間を注意すれば済む、ただ 面倒なのは何日か置きに一度地面まで降りねばならぬ、地面の“気”と接触させ、元気にさせる目的がある。

??太湖沿いの葦が生えている湿地では昔地元の水亀をよく見かけたときがあった、茶褐色の下地に黒い斑点が付いている。現在は花鳥市場で買えるはずだ、手のひらほどの大きさのものでいい、そんなに高くない。飼育容器は円形のガラス金魚鉢にすればよい。わざわざ亀小屋を買う必要がない。緑毛は水の中で培うもので、金魚鉢は適切となる。大事なのは水のことだ。井戸水は一番良いとする、そして 一つの秘密的な物が井戸水に秘められている、次の内容で解明しておく。綺麗な河川水、雨水でも行ける。勿論 浄水器からの水も使える。水道水は多少消*剤の成分があるから、何日か置いて匂いを除去してから何とか使える、しかし最後の二つの水の場合は緑毛を培うには役に立たず、すでに緑毛が付いた亀の飼養に使うならまあまあ使える。金魚鉢を洗浄して、亀を入れて、清水を注入する、甲羅を完全に没入させ、頭が簡単に水面を抜け出せるほどの高さにする。水亀はやはり肺臓によって呼吸するもので、水に生息する時間が長いだけというのだ。餌は雑魚、エビ、生のロース(千切りされた豚肉)を適量にする、同時に沢山餌をやることは良くない。少量に完全に食べられることを原則とする。餌の量を把握し、馴染みになってから、指で餌を持って、食べさせることができる、こうして、亀からの信頼感を養成することができる。二,三日に一度餌をやる頻度で結構なのだ。市販の亀の糧を使ってもよい、同様に多すぎてはいけないとする。餌の投入、排泄、蚊の産卵などによる汚れが発生するから、水の清潔を守るために水を交換するのを怠ってはならない。水交換するときに柔らかいブラッシュで甲羅を拭き、あまり力は要らない、染みついた汚れを落とせればすむ。金魚鉢を庭に置くのが殆どで、室内に持ち込むのは臨時に観賞する場合のみになる。緑毛は光合成作用を抜きにしてはいけないからだ。夏は簾を使って、日光を遮り、緑毛に害をする強い日差しを避ける。あとは静かに待つことになる。

??蘇州地域で、長年に湿潤な空気で各種の微生物の生長を保証されている。味噌作りの成敗は麹の菌の品質と同じように、緑毛亀の毛も一種の微生物が甲羅に付着して、生長した結果である。暫定的に亀甲の藻と呼ぶ。井戸水や河川水にもともとこの見えないプランクトンが含まれている、これは前文に言った秘密だ。水道水や浄水にはプランクトンがないため、緑毛の繁殖は無理だ。ところが、もし 河川水混じりで或いは河川の水草や田螺、にしをいくつか入れて、仲間入りさせれば、間接的にこの藻の繁殖に効き目がある。適切な気候、温度条件の下で、微生物が甲羅を温床にして、根ざしてくる。この経過は時には簡単にできるし、時間もあまりかからない、時には長い時間がかかる、主因は水質及び特殊の藻の含有量に左右されている。餌が多すぎて、食べ残した糧によって、水の汚れが発生したことで、頻繁に水交換するなども影響を起こす要素である。

??背の甲羅に“草色遥看近却無”(草色が遥かなところから見ればあるが、近づいてみれば見えない)の感覚が出たら、この藻が既に根を下ろしたと判明できる。引き続き、待つことで、ゆっくりと点々な緑が足の爪から、甲羅の襞から萌え出る、そして、緑の糸が少しずつ伸びて、ようやく一本一本定着し始める。この状態になるまでは数か月間かかるか半年一年もかかったかもしれない。暇と根気が必要なもので、良いのは飼育すること自身がそんなに手間がかからない。ただし、一つ任務として注意を払うべきだ、水がなくなるまで或いは水のにおいが出てきてから初めて、あら、可哀そうに亀がまだいることに気づいてしまったようなことはあってはならない。

??緑毛がだんだんと形を成してきてから、一定な整理を行う必要がある。プラスチック製の細目の櫛を使えばいい。健康な緑毛は薄めの深緑色で、日差しに長期間亘って照らせれば、水の富栄養化になった場合は色が濃くなり、先端がキドキドになりやすい。毛を櫛の目で通れるように整える、甲羅が噛みつけない部分を捨ててよい、良い緑毛は櫛で調理するのを恐れない。毛が長いほど梳る必要がある、毛のもつれなどを防ぐ、若い子の長い髪の毛と同じ扱い方式だ。早急な整理によって更に赤虫など虫害を防止することができる。秋には肉食の回数を増やし、冬しのぎのために体力を蓄えさせて、平安に冬を乗り越えられるようにする。

??寒い風に木の葉がすっかり吹かれてしまい、緑毛亀の動きが鈍くなり、瓦に初霜が現れたときになると、冬眠の手配に入る。この前に、もう一度整理を行い、洗浄しておく。水を足の爪を覆い、背の甲羅が下辺が少し水にかかるほど水を入れればよい。室内に収め、ベットの下か箪笥の下か、風が届かない、光を遮る場所で保管する、そして、金魚鉢の下に保温材を下敷きにする。来年、啓蟄の後、安全なのは清明の後、気温が落ち着いてから、金魚鉢を取り出して、洗浄して、元の場所に戻せばいい。冬の間は全然ノータッチで済む。

??今日は、家で緑毛亀十匹の水交換作業をしている。実は十一匹もいる、中には友達が平江河から取り上げた由来知らずのブラジル赤頬亀が紛れこんでいる。丈が大きい、黒い背に赤い頬っぺた。一応差別つけずに飼育している。何度も甲羅に点々と緑の毛が萌え出たのを見たが、二、三日経って、水交換すれば、甲羅を持つときに古い甲羅の表皮が落ちてくた、ほら、この種の亀は脱皮してから大きく成長することが分かった。せっかくの緑毛も落ちた皮に付いたままなくなってしまった。それに、手足を振り回し、口から:カツカツと音を立てて、私を脅かしているようだ。この亀で本土の金銭亀を偽って、最初のころは花鳥市場に沢山いた、子供たちの遊びものだった。今は各寺院の放生池に夥しい個数の存在である。少しずつ、本土の亀の生息地域を蚕食しつつある。だから、私は絶対に放生には出さずに、金魚鉢に閉じ込めて、禁足しているが、苛めは加えない。

??水交換が終わった後、緑毛亀は一つ一つ首を出して、私に餌を乞っている、亀の糧を一握りにし、各金魚鉢に少しずつ入れた。緑毛が一叢、一叢清水に咲かせて、亀のエサ奪いの動きによって、衣の袖口が風に当たるように靡いている。

蝋梅の木の下に大きい鉢には唯一の*板亀がいる、全身の甲羅が象牙色で、毛の色も薄くて柔らかい気がしている。それは私が中学校を卒業した年の夏休みに母親と普陀山へ遊びに行ったとき、仏頂山の山道で一人の農人の網袋から4元で買い、遥々千里外に海を跨いで、持ち帰ったのだ。彼は一番性格が静かで、ずっと同じ姿勢を長く保持している、何か深く考えているような振りをしている。母親はこんな様子を見て彼に:“残念ね~、もし子供なら、今はもう嫁さんをもらっているでしょうね。三十いくつになるでしょ?”そうだ!今年、娘が既に大学二年生になり、彼は娘よりも十何歳年上である。過去のことは本当に煙のごとしというものだなあ!

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二次元コードを識別して、私の文章を楽しめる。

蝠荷堂主

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